あかべこ日記洛北雨中行脚編 森くらうど 寄稿 小森耳鼻咽喉科


あかべこ日記洛北雨中行脚編

「雨もまた妖しき風情」

平成14年卯月 森 くらうど(雲遊)<ベベパパ>   

 

<先乗り>

 狂った季節の表情は気まぐれだ。まだ春先というのに初夏のような暑さが襲い来る。木々の花や野の花も戸惑い慌てて、咲く順番を間違えてしまっている。ツツジより先にサツキが満開になり、サクラとスズランが同時に花を咲かせている。チョウやミツバチたちも、どの御馳走から口を付けていいやら悩んでいる。あまりの狂い咲きに、本来の花の時期には何も咲いていないのではないだろうか。レースのようにフライング再スタートしようにも、Tカーは用意されていない。花のレーサーはすでにALLクラッシュしてしまっている。

花街道 

 ここに関西方面の花のレースを見に行こうと、暑さのあまり薄着で出かけたライダーがいる。箱根を越え、東海道を走っているうちはよかったが、浜松を過ぎたあたりから、徐々に気温が下がりだした。名古屋に入ると日が暮れて、首筋袖口から冷気が忍び込んでくる。長島温泉のドライブインに入ってうどんを食していると、正月のちゅるりん雪地獄が思い出された。同じ場所で雪中の一夜を過ごし、3日かけて抜け出したものの、その後3週間病床に伏したのだ。食べ終えて温まっている内に行こうと、感傷に浸る間もなくレインウエアを着込み、街灯のない闇夜の信楽の里を駆け抜ける。気温は摂氏3度を示していた。京都の家に着いた時、冷え切った体をそのままごっそりと炬燵の中に突っ込んでしまい、しばしの微睡みを味わった。

 翌日、せがむ姪を後ろに乗せて洛北、洛中、洛外へと駆け回った。あかべこに巨大アルミ岡持三点セットと巨大ライダーだけでもかなりの重量なのに、同じ血をひく巨大姪が乗ると、プリロードを目一杯固くしたにも関わらず、後ろのサスペンションがぺったんと落ちてしまった。おまけにフロントが浮き気味になるため、急な上り坂でアクセルを開けると、一瞬ウイリー状態になってひっくり返りそうになる。流石の大排気量車でも、峠の登り道では重そうに喘いでいた。

 洛北鞍馬から花脊峠を越え、京北町の常照皇寺の枝垂れ桜を見に行ったが、すでに葉桜満開だった。しかたなく八木から亀岡、嵯峨への狭い山道を辿り、一旦、昼食をとるために民芸風の店に入った。

「すみませーん、鍋焼きうどんの卵抜きとキツネうどんお願いしまーす。」

「はい、わかりました。」

しばらくすると、向こうの方で、

「鍋焼きの卵がなんやらゆうてたなあ、何やった?」

「あ、すんませーん、この子が卵アレルギーなんで、卵は抜いて下さい。」

「あ、そうか、分かりました。」

そして、数分後、

「鍋焼きの卵は入れてええんやな? えっ、違うたか?」

「だから、卵抜きです!」

「はいはい、分かりました。」

全く人の話を聞いていないようだ。他の客の注文に対しても、

「さっきの釜揚げうどんは天ぷら付きやてぇ。すぐ揚げてな。」

「釜揚げとちごて、ざるうどんやてぇ、間違えたわ。」

どうにもまともに注文が通らない店のようだ。そして、出てきた「鍋焼きうどん」と「きつねうどん」は、ただ薄いダシのきいていない味のないひどくまずいどうしようもない代物だった。

 市内の混雑する道に入ったものの、再び比叡山を越えて琵琶湖畔を走るうちに、坂本の山奥のとんでもない小径に迷い込んでしまった。急な坂を登ろうとしたとき、近くで農作業をしていたおじさんが、

「この先、行き止まりやでぇ、行けへんでぇ。」

後ろに巨大姪を乗せたまま急坂を下がることほど怖いものはない。少しでもライダーが体重を後ろにかけようものなら、前足高く振り上げて後ろにでんぐり返ししそうになる。必死に上体を前の方に倒し、フロントブレーキをにぎにぎしながら微調整をして下がっていく。両足は、車高が下がっている分べったりと地に着くのでずりずりと引きずってバランスをとっていた。とうの巨大姪は後ろにふんぞり返ったまま、きょろきょろ辺りの景色を楽しんでいる。何とか窮地を脱したものの、運転しているライダーの体力は限界に来ていた。家に戻ると、炬燵にダイビングするや、そのまま夢の海に沈んでいった。

 

<前夜祭>

 関西方面の巨樹・巨木を巡る催しのために各地から集まってきた。13時半に大阪能勢の道の駅に集合なのだが、京都を10時に出て11時には着いてしまった。時間を持て余し、物産販売の店で夜のキャンプの食材を仕入れる。朝採りのタケノコ、タラの芽、コシアブラ、ユキノシタなど、ごっそり買い込んだものの、バイクに積む余地が無い。誰かの車に乗せてもらうことにして、昼時でもあり、道の駅の食堂で「きつねうどん」を注文した。前日の「味気ないひどくまずいどうしようもないきつねうどん」に比べて涙が出るほど旨い「きつねうどん」だった。この差はどこにあるのだろうか? やはり客の注文をしっかり聞いて間違えずに作る注意力さえあれば、そんなにひどくまずい「きつねうどん」ができることはない。

 ややもして、1時半前後に東京から5人乗って駆けつけた車、九州から巡り巡って辿り着いた車、地元の案内をかって出た車と、総勢10名の巨木好き、花好き、物好きの人間が集まった。

「バイクの後ろに乗りたい人、メットあるから乗れるよぉ! 誰かいないの?」

「やぁだぁ・・・」

結局、他の9名はそれぞれの車に分乗するが、バイクにはライダー一人だった。やがて出発となったが、まずは夕食の食材を買うべく近くのスーパーに行き、またまたしこたま買い込んだ後、予定の巨木を見に行くこととなった。案内の車の後に付いて行くと、なぜか同じ道をぐるぐるぐるぐると回っている。いきなり道を間違えたらしい。盛んに地図と睨めっこしているのが、後ろからよく見える。やがて、少し前に右折した信号を今度は左折し、山の中に入っていった。次第に道は険しくなり、いきなりガレ場のラフロードに変わる。仕方なくステップに立ち上がって泥濘や大きな石を避けて走ったが、突然舗装道路になったかと思うと、すぐにまたガレ道になるといった変化に富んだ道を進んだ。そして、行き着いた所は「野間の大けやき」だった。

野間の大ケヤキ

「なんだ、ここに来るのにあんなひどい道を通ったの? もっといい道がいくらでもあったのに・・・。」

近道したつもりが、未開通の道だったらしい。

「野間の大けやき」は日本でも最大級のケヤキで、根の張りが強く数百mも広がっているという。周辺の建物を取り壊していたが、聞くと民家の床下に根が張って家が傾いてきたようだ。そこでけやきの周りを公園にすべく工事をしているのだった。けやきの樹勢も盛んで、梢には沢山の新芽が吹いていた。樹齢は千年以上で目通り幹回りは14mもあり、一本で堂々とした社叢を誇っている。

 次に倉垣神社の銀杏を訪れたが、新芽のイチョウを愛でることより、辺りに立ち並ぶ赤い地肌剥き出しのヒノキに皆驚いた。どうやらどこかの社殿の檜皮葺に使うため、軒並みヒノキが皮を剥かれているらしい。何か酷く痛々しい印象を受けた。七年前、初めて出会ったオトシブミが、葉っぱのゆりかごを作っていた木も切られてなくなっていた。

 時間も夕刻近くなり、キャンプ場に向かった。能勢の青少年野外活動センターのバンガローで合宿となるのだが、青少年というには些か塔が立っている者が数人いたようだ。日が暮れるまでに料理の仕込みをしないと、調理場が照明のない表にある。尤も、料理といっても天ぷらとバーベキューだから、材料を切り刻むだけなのだ。

オードブルで生春巻きなど作ってみた。ライスペーパーを水に浸して甘味噌をにょりっと塗り広げ、刻んだ野菜類と海老を置き、柔らかくなったらくるくると巻いてゆく。豆板醤と砂糖とニョクマムでタレを作り、ちょこっとつけてかぶりつく。

「へえ、おいしい。初めての味だあ。」

「これベトナム料理なんですかあ?」

「うんにゃ、思いつきで我流に作ってみただけ。」

 スーパーで買ってきた天ぷら粉を冷たい水でざくざくと大まかに溶き、持ってきた小さい一人用の天ぷら鍋に油を注いでコンロにかける。あとは洗って切りそろえたタラの芽、コシアブラ、ユキノシタに衣をつけて揚げてゆく。油に入れた瞬間、ジャーと激しく泡立つが、ぱちぱちぱちぱちがぴちぴちぴちぴちに音が変わった頃合いを見計らって油からすくい上げる。新聞紙の上にキッチンペーパーを敷いた上に、揚がったばかりの天ぷらを並べて余分な油を切る。衣のサクサク感を失わずに食べるには塩が一番だ。十人分の天ぷらを一人用の小さな鍋で揚げるには、ただひたすら揚げ続けるしかない。揚がった端から次々と各人の口に運ばれていく。

「おいしい。山菜の天ぷらがこんなに美味しいなんて、初めてです。」

「タラの芽がこんなに美味しいなんて知らなかった。」

「コシアブラって食べられたんですねえ。旨〜い。」

「ユキノシタのもちもちした感触がすっごくおいしい。」

「いやあ、天ぷらには塩なんですねえ。ホント旨いわ。」

「バーベキューの種のイモとか椎茸なんかも天ぷらにしてくださ〜い。」

「イモが食べた〜い。イモが食べた〜い。」

「カボチャも揚げてくださ〜い。ホクホクしておいしい。」

ひたすら衣をつけまくり、ひたすら油に放り込み、ひたすら油の弾ける音に耳を澄ます。結局バーベキューの材料も天ぷらになってしまった。タケノコは皮のままアルミホイルに包み、炭火の中に放り込む。二十分ほどで蒸し焼き状態になったのを、ざくざくと縦に切り割り、塩をふってやわらぎの部分から皮を削ぐようにしてかぶりつく。

「うわあ、タケノコでこういう食べ方をしたの初めて。おいしい。」

終始、「おいしい、おいしい。」の大合唱が続き、夜は更けていった。

巨樹の宴の前夜祭は、殆どが野菜の全野菜料理だった。天ぷらの種が尽き、皆満腹してベッドに潜り込み始めた頃、天ぷら職人の五十歳の青年は、誰に聞こえるともなく呟いた。

「おなか空いたなあ・・・」

天ぷら揚げに専念していて、殆ど食べていなかったのだ。

昼間の疲れというより、長旅の疲れからか、一通りの語らいの後は、鼾の合唱と寝言の合間に暖炉の薪が燃えて爆ぜる音がパチパチと聞こえていた。

「30mもあるのか・・・」

「私が握るぅ・・・」

勝手な寝言が飛び交っていた。消えていた暖炉の火が突然燃えだして、

「おっ、焼けぼっくいに火がついた。」と、呟いたら、

「ははは、うまいうまい・・・」

てっきり洒落に受け答えしたものと思っていたら、それも寝言だった。朝方、外ではしとしと降る雨音が、葉擦れのざわめきと共に聞こえていた。

 
芍薬

<雨中行脚>

 早朝から雨足は激しいステップを踏むかと思えば、スローなブギで踊り出し、時折日本舞踊を舞うようになった。慌ただしく朝食を済ませ、昼の弁当におにぎりを握る。バンガローの中を元通りに片づけて清掃した後、三台の車と一台のバイクは最初の巨木を目指した。同じ能勢町の国道沿いにある「天王稲荷神社のアカガシ」は、撚れたような樹皮をもって高く聳えていた。見上げようにも雨粒が落ちてきて、よく見えない。自ずと下を向いて地面に目をやると、思いがけないものを見つけた。カンアオイが緑の葉を広げ、地面の中に半分埋まった花を咲かせている。ナメクジに花粉を媒介させる変わった植物なのだそうだ。周りを見れば他にもマムシグサが顔を出し、雨に濡れて鎌首を擡げていた。

 丹波篠山方面に向かうも、雨は一向にやむ気配はない。一行は「医王寺のラッパイチョウ」を訪れた。木そのものは、まだ若いのだが、繁る葉っぱの一部が漏斗状の筒になっている。その形がラッパのようでその名がついたのだが、まだ新芽が吹いたばかりなので、緑のラッパは見られない。そこで、一同地面を漁って去年の落ち葉を探しだした。

「あったー!あったー!」

あちこちで枯れ葉に混じっていた茶色くなった小さなラッパを見つけた。確かに珍しいものではあるが、後にいろいろな所で発見されている。

 更に雨の中を進んだ一行は、一本しかない「六本柳」や、一本が四本になった「四本杉」、世界にこれしかないという「日置のハダカガヤ」、遠くからの目印にもってこいの「安田の大杉」などを見て回り、たまたま通りかかった神社の境内に大きな椋の木を発見して、喜びのままそこの本殿で弁当を広げた。賽銭箱の脇でおにぎりやキムチを頬張る。雨足は更に激しさを増し、雨垂れの音が乱れたサンバのリズムを刻んでいた。

 京都の京北町の山奥に新たな巨大伏状台杉群が発見され、一部はそのまま立ち入り禁止にされて保存されているが、他の一部はガイド付きでの見学ということで限定公開されている。「片波川伏状台杉群」は山の尾根一体に群生している台杉で、昔は材木として利用するために切り出されていた。近年、需要が無くなり、放置されていたものが歪み曲り成長して巨大なオブジェの如く山間に群を作って生き残ってきたのだ。

 一行は山頂近くまで車で登り、更に徒歩で尾根筋まで歩いた。一帯は鮮やかに輝くようなイヌブナの新緑に覆われている。樹皮が黒っぽく、下の方が暗い林になっているが、樹冠の明るい緑の葉が雨に洗われて息づいていた。細い小径に分け入ると、クロモジやアセビが低く枝を広げ、足下には笹が纏わり付く。やがて、尾根伝いに巨大な杉が歪な姿を現すようになると、まさに盆栽の森に入り込んだような錯覚に陥る。花脊の天然伏状台杉と同じような環境なのだが、群生地へのアクセスが比較的容易く範囲が広いために近年まで利用されてきた経緯もあり、人の手が入った痕跡が至る所に見られる。散策コースとして縄張りがしてあり、斜面には歩きやすいように間伐材で作った階段も設えてある。何だか巨木巡りハイキングコースのようである。尤も、何かしらの制限をしないと無闇な伐採が行われたり、群生地が荒らされたりして植物に悪影響をもたらすことは明らかなので、保護対策としては有効な手段かもしれない。空からは絶え間なく雨粒が落ちてきてはいるのだが、森の中にいると繁った梢の葉が傘になってくれる。時折、樹雨がぱらぱらと頭や肩口に当たる。地元で発行しているパンフレットには「大王杉」とか「夫婦杉」とか名前が付けてあり、一番とか二番とか大きさを明記しているが、巨木の森に入ったらそのような人間の主観的区別は無用になってしまう。それぞれが年期を経た命の葛藤を見せつけているのだ。根元から数本の杉が絡み合い合体している。本来灌木であるはずのコシアブラが杉と絡むことで養分の共有をしたのか、大木に成長して大きく梢を伸ばしている。周りには杉の若木はあるものの、他の広葉樹が数多く混交しており、イタヤカエデが多くの種を飛ばして一面に若い苗を侍らせている。ミズナラの根元を見ると梢で受けた雨水が樹皮脈を辿って集められ、絶え間ない雫となって土に吸い込まれている。イヌブナやカエデの木肌も雨に濡れててらてらと光っている。それは、巨大杉と共に長い年月を生きてきた命の輝きなのだ。土に還った雨水はやがて地下水となって地表にせせらぎをつくり、川となって命を潤す。その命の源の雨を受ける森は、神秘的な霞に包まれて眼前に横たわっていた。

 

<雨後の衆>

 雨の中を歩き続けたためか、ゴアテックスのブーツの中に水が入り込みぐっちょぐっちょと気持ちの悪い歩みを強いられた。慣れない山道をライダーブーツで歩くと余計な筋肉を使うらしい。翌日は全身の筋肉が悲鳴を上げていた。

「なあ、犬の散歩行って来てえなあ。暇なんやろ?」

小さな犬ならまだしも、巨大なオジサンの巨大姪の飼っている巨大犬で、後ろ足で立ち上がると同じ位置に顔がきてしまう。そのままでチークダンスが踊れるくらいだ。

「えーっ、あのバカ犬、ボクの云うこと全然聞かへんからいややで。」

「ええやん、バカ同士気が合うやろ。」

渋々巨大幼児体型のオジサンは巨大犬に引っ張られるように散歩に連れ出された。リードを引く力は一年前に比べて格段に強くなっている。片手をぶるんぶるん振り回し、ドタドタバタバタと無様に引き回されるオジサンは全身の筋肉と同様の悲鳴をきゃあきゃあと上げていた。吉田山の山頂に行こうとするが、濡れた落ち葉の道では両足を踏ん張ってもずりずりと引きずられてしまう。犬ぞりのような感じとでも云おうか、さながら水上スキーならぬ道上スキーである。

「うわわわー、こらあ、引っ張るなあ!転けるうー!」

バイクで転けるのと訳が違う。転倒慣れはしているが、犬倒慣れはしていない。結局、リードを外してしまったが、巨大犬は一目散に山頂めがけて駆けていった。その様はまさに「駆け抜ける喜び」を示していた。ぜいぜいはあはあぜえぜえひゃあひゃあと荒い息をつきながら山頂まで辿り着くと、そこには10頭余りの犬と5,6人の飼い主たちの阿鼻叫喚が渦巻いていた。ラブラドール・リトリーバーが5,6頭とボーダーコリー、パグや年老いたテリアたちが遊んでいたのだが、その中に一際バカでかいピレネー犬が全くの無言で割り込んだものだから、訳も分からない犬たちはパニックになっていた。

「なあにぃ、これアポロンちゃんなの?黙っていきなりのし掛かるもんだから、この犬腰抜けてるう、きゃははは。」

アポロン

巨大バカ犬も2歳になれば♂としての意識が芽生えるらしい。子供を産んだばかりの雌犬にのし掛かって、盛んにひょこひょこ腰を動かしている。だが、交接には至っていない。それどころか、別のリトリーバーにのし掛かっていくのだが・・・、

「その犬はオスよぉー。去勢はしてるけど、オカマの犬よぉー。」

例えオカマの犬であっても自分の倍はあろうかという巨大犬にのし掛かられては、腰が抜けてしまうのは仕方がない。オカマの犬に覆い被さってひょこひょこ腰を動かしている巨大なピレネー犬を見ていると、何だか情けなくなってしまった。

「もう、このバカ! 恥ずかしいと思わんのか。さ、帰ろう。」

と、リードを繋いで引っ張るが、座り込んで動こうとしない。思い切り引っ張っても、首が絞まって皮が持ち上がって情けない顔になっても、頑として動こうとはしない。そのうちべったりと寝っ転がってずるい寝技を使い始めてしまった。そうなれば意地の張り合いである。両前足を持ってずりずり引きずろうがへらへらへらへら舌をだらりと出してせせら笑うが如くされるがままになっている。引きずる方が辛くなって、今度は抱え起こして前足を浮かし、後ろ足だけで歩かせようとすると、仕方なくとぼとぼと歩き出す。だが、ちょっと進むとまた、べったりと寝技に入るのだ。

「このやろー、なめんなよ、よっしゃ、こうなりゃ技かけてやる。」

と、前足を取って「腕ひしぎ」をかけてやった。

「・・・・*#&※$%・・・」

声にならないうめき声を上げて立ち上がった。

「ざまあみろ!人間様には勝てないだろ。」

「・・・・※&%$#・・・・・」

なんと云ってもこの犬は2歳になる今に至っても、一度も吠え声を聞いたことがないのだ。吠え方を知らないのかもしれない。このままでは犬の手話を教えなければならないようだ。

 山の中で巨大な木々と語り合い、巨大な犬と戯れていると、あらためて生命の尊さを実感してしまう。植物である木々は、何百年、何千年という時の雫を受けて生き続けている。だが、動物である人間はせいぜい7,80年の命であり、巨大な犬であっても寿命は10年そこそこなのである。巨大な木々からは生命の活力を貰う心地がするが、巨大な犬には、10年という短い命に対する慈しみが湧いてくる。抱きかかえ、取っ組み合いをしてじゃれ合ううちに、生命のある間は精々楽しく生きてほしいという思いが生まれてきた。無闇に木々を伐採して自然を破壊することを非難すると同時に、無闇にペットを捨てて命を粗末に扱う人間のいることに悲嘆してしまう。木々も犬も猫も同じ地球に生まれた生命体なのだ。すべての命には生きようとする本能があり、生きる権利がある。その命の権利を剥奪するのは、人間の傲ったエゴイズムに過ぎない。

 早朝、まだ夢の中に漂う家族を起こさずに、そっと荷物をまとめて家を出るライダーを巨大な犬は無言で尻尾を振って見送ってくれる。

「憎たらしいけど、可愛いヤツやな。また、来るときまで寝技の腕磨いておけよ。それと、手話も覚えときな。」

巨大なあかべこGSを走らせるライダーの頭上には、巨大な雨雲が手ぐすね引いて待っていた。

あすか

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