亀仙人 雨中夢幻に舞い踊る

亀仙人、雨中夢幻に舞い踊る

平成14年7月之事

by 森くらうど<雲遊>(ベベパパ)   

 

<嵐の前の何とやら>

 極悪極道ライダーとは人間性を指さずして云うならば、極めて悪い道を極めて悪い気象条件の中でも果敢に曲道に挑み、ただひたすらバイクを走らせるライダーのことを定義づけている。「大雨男」の異名を持つ自分としては、毎度のことながら己の運命を呪いたくなる。本州の北端の竜飛岬に集うために走り出したものの、折からの台風で全国的に災害が起こっている最中なのだ。それでも、信州松本を最近の塒(ねぐら)にしているバカなライダーは、まだ台風の影響の無い青空の下、亀仙人に鞭を入れて北へ向かった。長野市を抜けてリンゴ畑の中を走ると、まだ青い実が色づきを待ち侘びながら枝先にぶらんぶらんとぶら下がって風に揺れている。信濃の空は嵐の前の静けさを孕んで青く澄み切っていた。ただ、流れる雲はその歩みを早めていたようだ。

 高原の道から望む雄大な黒姫山や妙高山が、流れる雲に掻き消されそうになる。時折、雲の合間から覗く山肌には蒼く繁った木々の葉が清澄な空気に息づいていた。遠くにあるはずの山が澄んだ空気のレンズ効果で間近に見える。近眼乱視老眼の目にもくっきりと梢の輪郭が見て取れた。

 上越近くの鴨島で18号線に別れを告げ、三桁国道に入り込んだ。殆ど車の姿の見えない快適な道である。当然、速度も三桁に及ぶ。山間の曲道に入り込んだ時、前方の道路がいきなり空中に持ち上がって消滅していた。びっくりしてバイクを停め、よく見ると、地滑りで舗装道路が持ち上げられ、バラバラに剥がされて道が無くなっていた。自然の力の強大さを目の当たりにした時だった。

 街道を走っていると沿道に赤っぽいポヤポヤした花を付けたネムノキに出会える。マメ科の植物なのだが、葉が夜になると閉じてしまう面白い樹だ。よくよく観察してみると、根元が白く先にいくほど淡い紅色の糸のような花びらが束ねられた根元からパアッと広がっている。横から見るとまるで扇が広がるように見えて、花の集まるところなどタカラヅカのレビューのようだ。

 あちこちで工事のための迂回路を走らされているうちに、安塚町という地名が目に飛び込んできた。思い起こせば10年前、初めて巨木に出会って、彼らの巨大さ、圧倒的な威厳に感動して、爾来(じらい)のめり込んでしまったきっかけが、この安塚にある巨大な杉だった。

虫川の大杉

<出会いの巨木たち>

 一番最初に出会ったのは「松之山の大ケヤキ」だったが、数年前台風で破損して道路の上に被さるように傾き、危険だからと根元から切られてしまった。日本で一、二を競う欅の巨木だっただけに実に残念だ。その近くにある三番目に出会った「虫川の大杉」が目の前に聳(そび)えていた。目通り幹周が10m以上あり、樹齢も千年以上という実に壮大な枝を張った巨大杉なのだ。根回りには踏み固められないように木道が設えてあり、白山神社の御神木として手厚く護られているようだ。

 その虫川から10キロほど山間に入り、新しくできた林道に踏入って雨上がりの泥濘の中、はっほっへっひょっと気合いとも悲鳴ともつかない声を上げつつ急斜面を上がりきった山の頂に、二番目に出会った「坊金の大杉」が鎮座していた。この杉も樹齢は千年近く、山頂にあって下界を睥睨(へいげい)するかのように臨んでいる。いずれの木にも注連縄(しめなわ)が巻き付けられ、地元の人々に崇められているようだ。山の巨木も里の巨木も確かに見た目は人の手によって保護されているようだが、周りの木々や灌木を取り払われてポツンと寂しげに佇んでいる様を見ると、何となく人間の過保護のように思えてくる。ありのままの姿が木にとっては最良の状態ではないだろうか。枝を伸ばし成長するのが自然ならば、倒れて朽ちるのもまた自然なのだ。


坊金の大杉

 松代町の山中の蕎麦屋で天ざる蕎麦を食した。山菜の木の芽や舞茸、アマドコロなどが衣を纏って蕎麦の側に添えてあったが、その中に何やら花の蕾のようなものが混ざっていた。

「この花みたいなのは何ですか?」

「はい、それはホタルブクロの花です。うちの庭先にある山菜を天ぷらにしてるんですよ。」と、自慢げに話してくれた。

確かにホタルブクロは辺りに沢山咲いてはいるが、何でもかんでも天ぷらにしてしまうと、どれも同じような味になってしまう。トリカブトの花だけは天ぷらにしないでもらいたいものだ。

 十日町でガソリンを入れていると、空からポツポツと雨粒が落ちてきた。いよいよ来たかと合羽を着込んで走り出した。雨足は次第に激しさを増し、フロントスクリーンを通り越してヘルメットのシールドに直接雨滴が体当たりしてくる。座高が高いので、フロントスクリーンなどあってもあまり効果はないのだ。比較的流れていたので、一桁国道を三桁ですっ飛ばして新潟市街をやり過ごし、聖籠町からは海沿いの松林の中をやはり三桁で駆け抜けた。笹川流れの辺りでどうやら台風に追いついてしまったらしい。激しいステップで舞い踊る雨足を蹴散らしてアクセルを開け続け、びゅいんっと雨雲をぶち抜いたら、よほどびっくりしたのだろう、台風がギョッと目を剥いてあんぐりと口を開け見送っていた。

 山形県に入って「おけさおばこライン」と銘打った国道7号線を突っ走っていても、一向に雨足の衰えは見えてこない。それどころか、ますます激しいステップで踊り狂い、至る所から雨水が浸入してきて全身ずぶ濡れになってしまった。仕方なく10年前にも泊まった鶴岡のビジネスホテルに駆け込んだ。

「馬鹿デカイ濡れ鼠一匹、泊めてもらえますか?」

水を滴らせた巨大な生き物を、そのビジネスホテルは心地よく受け入れてくれた。そのホテルは「α-1鶴岡」といい、これからも贔屓(ひいき)にすることにしよう。何といっても各部屋のトイレがウオッシュレットになっているのが嬉しい。

<嵐の名残雲が邪魔で邪魔で>

 翌朝、心地よく目覚めた生き物は自分がカフカ的ナメクジになっていないことを確認してにやりと笑った。窓の外は雨こそなけれど、どよんとした暗い雲が低く垂れ込めている。早々に荷造りをして表に出ると、遙か南東の方角を見遣った。しかし、低く垂れ込めた雲に隠れて、月山はその姿を御開帳には及ばない。これで一体何度目だろうか。チャンスがあるのに見られない。見えた時は5月の連休中に、酒田であかべこGSのクラッチロッドが折れ、虚しく置き去りにして帰る電車の窓から鳥海山と月山が悲しく見送ってくれた。

 ホテルα-1から酒田方面に走り出してすぐに「文下(ほうだし)」という地名が目に付いた。ここにもケヤキの巨木があった筈だ。ちょこまかと細い路地に入り込むと勝手知ったる場所とばかりに人家の庭先に立つ「文下の大ケヤキ」の下に降り立った。

文下ケヤキ

やはり樹齢は千年近く、樹周は11mにも及ぶ。過去数百年の間一度も斧を入れられていないということで、殆ど傷も無く、美しい佇まいを見せている。ケヤキは根の成長が著しく早く強いため、周りに障害物があったりすると根回りが暴れまくって歪な格好になりがちだが、文下の土は軟らかいのだろう、根元はすっきりとして伸び伸びと成長している。辺りには赤い百合の花が咲き乱れ、強い香りが漂っていた。十年前と同じく、大ケヤキの背景には黒い雨雲が垂れ込めて写真に収まった。

 文下から再び一桁国道に戻って数キロも行かないうちに、またもや巨大なケヤキが大きく枝を広げている。「山の神のケヤキ」という巨木で、樹齢は四百年ほどだが、文下のケヤキと同じく根元はすっきりとしている。ただ、大きく斜めに傾いだ幹から四方八方に太い枝を広げている姿は、どことなく科(しな)を作った熟女のような艶っぽさを感じてしまう。敢えて云うならば、「横膝に崩した着物の裾から覗く白いふくらはぎが眩しく、片手を付いてそっと目元に指先を沿わす日本髪を結った芸者の風情」とでも云おうか。

山の神のケヤキ

 そうこうしているうちに酒田の町外れへとやって来た。思えば五月の連休の最中、いきなりあかべこGSのクラッチロッドがポキンと折れて立ち往生した場所である。同じ場所に亀仙人12Cを置いて思い出の写真とした。当時はくっきりと見えた鳥海山も、低く垂れ込めた雲に隠れて拝むことはできない。今だに直ってこないあかべこに心を馳せながら、亀仙人に鞭を呉れてやると海岸通りをのんびり二桁の中位で走らせた。

 遊佐町の吹浦海岸、鳥海ブルーラインの入口に「十六羅漢」がある。解説には「現曹洞宗海禅寺、二十一代目の石川寛海大和尚が、日本海の荒波の打ち寄せる奇岩の連なる数百メートルに点綴(てんてつ)して刻んだ十六羅漢がある。」と、まあ、江戸時代の終わりから明治初年にかけて、僧侶がこつこつと海岸の岩に仏像を彫り刻んだのだそうな。釈迦牟尼佛や普賢菩薩、文殊菩薩、観音菩薩などは耳にするが、他の十六羅漢の名前がチュダハンタカ尊者、ピンドラパラダージャ尊者、パジャラプタラ尊者、カナカバッサ尊者、パダラ尊者とかいう名前を見ると、どうにもオウム真理教の信者たちの名前を思い浮かべてしまう。尤も、これらの尊者の名前からとったのかもしれない。罪な事をしたものだ。仏陀の弟子の名を騙る不届き者ではないか。羅漢とは仏教の修行者で悟りを開いた者であり、阿羅漢(Arhan)なのだ。

 そんな俗世間の悪事を見ていたのだろうか、二十二体の仏陀と羅漢の像は打ち寄せる荒波を背に、静かに瞑想しているように見えた。

十六阿羅漢

 日本海の荒波が打ち寄せる羽州浜街道、国道7号線をただひたすら北上し続けた。時折、草むらに隠れた変なオジサンがレーダーを向けてきたが、見ない振りをして通り過ぎた。また、白と黒のツートンカラーの車がぴったりと後ろに付いてきたが、しっかりと二桁中位の速度を維持して景色を楽しんでのんびり走っていたら、何も云わずに立ち去っていった。

 八郎潟の東岸は一桁国道で、また白いバイクに出くわすとも限らない。天王町から西岸の大潟村を通る県道に回り、広大な埋立地を横目に三桁速度ですっ飛ばしてしまった。

<不老不死で千年生きるかも>

 能代の南で7号線と別れを告げ、五能線と共に海岸縁の三桁国道を更に更に北上する。右手を見れば遙か白神の峰々が連なり、緑成すブナの森が山肌を覆っている。左手を見れば日本海の青き海原が水平線まで広がり、打ち寄せる波しぶきが磯を洗っている。海が美しければ山も美しい、山が豊かなれば海もまた豊かになる。母なる海と父なる山の森に抱かれた道を走っていると、命の原風景を見るような気がする。その所為かどうか分からないが、黄金崎の不老不死温泉にふらりと立ち寄った。

「あのう、温泉だけ入ってもいいですか?」

「はい、どうぞ。あの波打ち際の露天風呂です。」

若い女将さんがニッコリ笑って応対してくれた。

「不老不死の温泉に入ってるんだから、ひょっとしてアナタは100歳越えてるの?」

「はい、みなさんにそう聞かれます。」

さらりと受け流されてしまった。そうとう強かな千年比丘尼に違いない。

タオルを一本ぶら下げて露天風呂に向かった。囲いの向こうに浴槽があるのだが、右手は婦人用、左手は混浴と表示してある。ちょっぴり期待して混浴を覗き込んだが誰も入ってはいなかった。茶色く濁った鉄錆び温泉のようだ。40度弱の温めの湯だが、長く浸かっていられる適温だろう。湯口からがぼがばぼこっぼこっと茶色い湯が迸っている。湯の中に手を沈めて見ると5センチ程で見えなくなってしまった。ちょろっと嘗めてみる。錆び臭い塩味がした。塩化ナトリウム泉のようだ。つまりは海水が温められて地中の鉄分を酸化させて錆となって出てきているのだ。海からは盛んに波が打ち寄せて、ほんの2mほどの所まで来ている。波の荒い時は海面下に没してしまうのだろう。しばし、温泉でまったりしているとやがてぐったりしてしまった。のったりくったりと気怠い身体を千年比丘尼のところまで運んでいった。

「あのう、温泉入ったらぐったりしちゃったぁ。今晩泊まれますかぁ? もうどこにも行きたくないもん。」

「はい、いいですよ。上の新館にしますか? それとも、この旧館にしますか?」

「アナタのいる旧館がいいな。」

「ふふふ、じゃあ、八千円と1万円とがありますが・・・」

「ああ、八千円でいいです。」

またまた軽く受け流されてしまった。これは、そうとう強かな比丘尼のようだ。いろいろボケたりツッコンだりしてみたが、ひらりひらりと躱されてどうにも暖簾に腕押し糠に釘状態で、若女将との間の内堀は結局埋まらなかった。潮騒が聞こえる大食堂で、海鮮料理満載の膳をぺろりと平らげ、部屋に戻ったが、旅の疲れも手伝って、早々に夢の中へと誘われて行った。

 心地よい目覚めは夜明けと共に訪れた。窓から海の方を見ると、浴衣を着たご婦人方が露天風呂に向かって歩いている。婦人用に行くかと思ったら、迷わず混浴の方に入ってしまった。早朝の岩場の温泉に浸かってはしゃぐトドとセイウチの群が、部屋の窓からよく見えた。そこで、ゾウアザラシも乱入すべくタオルを持って出ようとしたのだが、玄関の自動ドアは施錠してあって開かない。仕方なく内風呂の扉を開けて入ると、老いたゾウアザラシが先に入っていた。

「ははは、玄関の戸、開かんでしょ。ワシもさっき出られんかった。」

不老不死温泉のゾウアザラシ ああ!がっかり

どうも♂のゾウアザラシの考えることは同じらしい。三十分ほどして内風呂から上がり、玄関に出てみると、戸が開いていた。早速草履を引っかけて露天風呂に向かう。潮風に浴衣の裾がぱたぱたと靡く。いそいそと脱衣場に入ってふと湯船を見ると、五,六頭の♂のゾウアザラシが一斉に顔を向けたが、すぐに失望の色をありありと浮かべて海の方に向き直ってしまった。何だか悲しい愚かなオスの性を見てしまったようで、湯に浸かる群の中に沈黙の波がひたひたと漂っていた。

 

<シジミラーメンはLOTO6かな>

 不老不死温泉で少し寿命が延びたゾウアザラシは、再びライダーとなって海岸道路を走りだした。大戸瀬崎の千畳敷をぐいんと回り込んだ所に、「北金ケ沢のイチョウ」という日本最大級のイチョウの巨木がある。古代大和朝廷の武将阿倍比羅夫が蝦夷征伐の際、この地に神社を建立し、イチョウを手植えたという由縁から、660年頃と推測されよう。白村江で唐の水軍に破れたのが663年だから、それより後とは考えられない。ということは、このイチョウは少なくとも樹齢1342歳と計算される。だが、銀杏の種から蒔いたとは思えず、苗を植えたならば、1342歳以上であろう。まさに不老不死伝説の証人、生きた化石、千年比丘尼の魂が乗り移った木ではないだろうか。幹周りは22mを越し、多くの垂乳根を下げたイチョウの根元に立つと、じっとりとした湿気を孕んで、千年以上生き長らえてきた老獪さを滲ませているようだ。

北金が沢の大銀杏

 そのイチョウから少し山手に入ったところに「関の甕杉」が聳えている。イチョウと同じようなお年頃故、同時代に阿倍氏が神社の御神木として植えたものかもしれない。人里にある巨木が現代まで生き残るには、「御神木」という護符が無ければとっくの昔に材木として伐られていただろう。だから、このような人里の巨木は自然ではなく、人為的に植えられた巨木だといえる。

関の甕杉

 鰺ヶ沢を通って木造町に入った所から車力村に至る広域農道を突っ走った。道の両側には多くの沼や湖水が点在し、どことなく北欧フィンランドの千湖を彷彿とさせる。「こめ米ロード」という名の付いた農道を三桁の速度で突っ切り、十三道に合流して十三湖の畔で一休みすることにした。

 駐車場の脇には何軒かの小さな店が並んでおり、いずれもシジミラーメンやシジミ汁、ソフトクリームの看板を立てて客を待っていた。例によってライダーはバイクから降り立つと♂のゾウアザラシに変身し、♀のアザラシの姿を求めて小さな看板の立つコロニーの間を徘徊し始めた。すると、小さな店の中に丸顔の小柄な♀のアザラシを目敏く見つけ、

「オゥッオゥッオゥッ、いやあ、暑いねえ、こんな北の地に来ても結構暑いわ。」と、ずかずか店の中に入っていった。

「いらっしゃぁ〜い、はい、扇風機にあたって、暑かったでしょ、はい、冷たいお水。」

丸顔の小柄な♀のアザラシは、エンドウ豆を剥いていた手を休めて巨大な♂のゾウアザラシの相手をしてくれた。
「シジミラーメンかぁ、10年前食べて酷い目に遭ったからなあ。」

「えっ、どうしたの?」

「この湖の対岸の最初にあった店でね、名物シジミラーメンってあるから注文したら、妙にぬるくてまずかったんだよ。で、15分ほど車で走ってたら腹がぎゅるぎゅるぴーって鳴り始めてね、後は15分刻みでリンゴの木の下や草むらや笹藪の中で、ぴっしゃーんぴーひょろろぴっしゃーんってもう大騒ぎさ。」

「ああ、選りによって一番評判の悪い店で食べたんね。でも、うちのは大丈夫よ、食べてみる?」

「ちょっと怖いけど、ま、食べてみるか。」

待つ間、いろいろと話が弾んだ。

「私、ここにもう15年もいるんよ。高校出てすぐからだもん。」

「・・・あっ、歳分かっちゃった。厄年じゃん。厄払いした?」

「ううん、してな〜い。あんな大きなバイク、乗ってみた〜い。」

「いいよ、ちょっと跨ってみる?」

「だめぇ、今ちょうど跨げない時だから・・・明後日ならいいんだけど。」

「・・・なんだ、生理休暇もらえないの?」

「きゃははは、年中無休よぉ。」

この♀のアザラシはいきなりの下ネタでも喜んで乗ってきた。厄年でも若く見えて好みのアザラシではあった。やがて出てきたシジミラーメンは、ぬるくはなかったが、さほど旨くもなかった。もともとシジミで澄ましスープのラーメンにすること自体少々無理があるのかもしれない。食後に店の奢りのソフトクリームをぺろぺろ嘗めながら、引き続き燻し銀の下ネタで話しが盛り上がっていた。

「15分経ったけど、おなかは大丈夫みたい。じゃあ、行きますか。」

「また来てくださ〜い。」

何枚か♀アザラシの記念写真を撮って、ゾウアザラシは亀に跨ると竜飛に向けて走り出した。下ネタの余韻が残って、なかなかライダーに変身できなかったようだ。後で知ったが、仲間のライダーで何人かシジミラーメンを食べて、直後にぴーひゃらどんどんのお祭り騒ぎになった者がいたらしい。誰かが当たるシジミラーメンLOTO6よりも確率が高いのかもしれない。

<竜飛にバカ集う>

 本州北の果ての竜飛崎に集合の号令をかけたものの、どこから何人集まるのか普通ならば予測はつかない。だが、殊BMWのライダーに於いては大凡の判断ができるだけ、そのバカさ加減は計り知れない。そのバカの筆頭が、道中ゾウアザラシや別の生き物に変身しながら昼には早々と竜飛に着いてしまった。一応夕方5時に集合と決めていただけに、予定の野営地には当然の事ながら誰一人いなかった。常に強風が吹き付ける場所だけに、風力発電の巨大な風車がぶるんぶるん回っている。遠く空にかかる雲がまさに竜が飛ぶ如く長く棚引いて流れていた。

 受付で500円の野営料金を支払って荷解きを済ませ、強い風に煽られながら何とかテントを張り終えた。きちんとペグを打ち込まないと、あっという間にテントを持って行かれてしまいそうだ。重石代わりに荷物を中に放り込むが、ばたばたばたばたと激しく揺れ動いて、ペグが抜けてテントごと空中高く舞い上がるのではと不安に駆られてしまう。剰りの強風で外での料理はできそうにないと判断して、炊事場に調理具を持ち込んだ。多分、確実にその炊事場が宴会場になるはずと思ったら、案の定、そうなってしまった。

 夕食の食材を求めて買い出しに出かけたが、野菜を手に入れるだけでも20キロほど行った今別のスーパーまで店がないと、通りがかりのパトカーのお巡りさんが津軽弁で話してくれた。多分そんな意味だと思うのだが、通訳がないと言葉が文字化けして半分も理解できない。小さな店でありきたりの芋とナスと舞茸を買い込んで、小雨パラつく中キャンプ場まで戻ったが、3時になってもまだ誰も来ていなかった。場所を間違えたのかと不安になりつつ、近くで鳴き騒ぐウミネコをからかっていると、ようやく一台の荷物満載にしたGSがやってきた。更に見覚えのある富山からのライダーがスキンヘッドをテラテラ光らせて駆けつけると、続々と過積載のBMWが到着してきた。遠くは九州大分から3日かけて来た者、来るつもりは無かったのに来てしまったという大阪からの者、関東方面から早朝発って高速道路をひたすら走って来た者、それぞれが思い思いのコースと時間をかけて北の果てまで来たのだ。みんなバカになるのが目的でやってくる。みんなバカになりたくて走ってくる。しかし、本当のバカはバカになる振りすらできない。自分がバカであることに気が付かない者が殆どだからだ。

 炊事場に籠もるとゾウアザラシは天ぷら職人に変身して小さな鍋でひたすら天ぷらを揚げ続けた。20人分ぐらい揚げるには前もって仕込まないと食べる速度に追いつかない。揚げるだけ揚げて、最後は自分の食べる分が無くなるのが常である。続々到着するも、皆強風の中でテントを張るのに相当苦労をしていたようだ。張り終えた者が酒や食材を持って炊事場に集まってくる。結局、狭い炊事場を占拠して宴会が始まってしまった。ビールの缶が次々と空になって潰され山になる。宅配便で酒をキャンプ場に送りつける者も居て、とてもキャンプ場で飲む酒の量とは思えない。肉を焼く者、魚を焼く者、大量のラーメンを作る者、刺身を造る者、ただ、酒ばかり飲む者、嬉々として写真を撮りまくる者、一升瓶を丸ごと抱え込んでぐびぐび飲み干す者、この「者」たちはすべて「バカ」に置き換える事ができよう。普段の社会生活の中では「バカ」になれない者たちが、自由に思う存分「バカ」になれるのだ。自我の装飾を捨て去り、自由な本性をさらけ出して夢幻の中に意識を舞い踊らせる。楽しさ嬉しさ心地よさの極致を味わえる空間が、その狭い炊事場の中に現出していた。同じ価値観を持った者同士が集うと、そこには争いや競いという負の意識は芽生えない。みんな「バカ」になり「子供の心」をさらけ出して、ただ大騒ぎするのだ。それは「祭り」といってもいいだろう。

 皆、一頻り飲んで食べて騒いで満足すると、三々五々塒(ねぐら)に潜り込んでいった。ただ、相変わらずの強風でテントは煽られっぱなしだった。そして、殆どが寝静まった真夜中に、東京から納車されたばかりの新車を駆ってやって来た者がいた。聞けばその日のうちに東京に戻るという。みんなが竜飛に集まる夕方に東京を発ち、ただバカになりたくて駆け付け、夜中に竜飛で「チゲ鍋」を作って振る舞い、その日のうちに帰るという、元々が正真正銘の「バカ」なのかもしれない。尤も、彼は自分のバカに気が付いてはいるようだ。

 ここでいう「バカ」は、結論としては「少年の心を持てる大人」と云えるだろう。

いずれも結構いい年をした中年代の愛すべき大人ばかりである。

 

<そして嵐の出迎え>

 朝の炊事場は、それこそ修羅場の跡のように残骸が散らばっていた。正気に戻った数人の「社会人」が手際よく後片付けをして、何事もなかったかのような元の炊事場に戻していた。北海道から参加していた♀のゾウアザラシ、ではなく紅一点のライダーが、誰も起こしてくれなかったとブーブー文句を言っていたが、皆一団となって青森のフェリー港まで送ることで機嫌を直したようだ。怪しい空模様の下、十数台の大型バイクが群をなして松前街道を割と静かに爆走してゆく。前の方を走っていてミラーに映る長い群を見るとなかなかの壮観ではある。空いた道路では挙って三桁の速度で驀進する。いずれも同レベルの性能のバイクだけに、大した列の乱れは見られない。

 フェリー埠頭のレストランで揃って昼食を済ませ、北海道に帰る紅一点のライダーを万歳三唱で見送り、東京へとんぼ返りの竜飛まで何しに来たのか分からない長身ライダーと別れ、およそ10台の極悪極道組が重たく暗い雲の覆う八甲田に向けて走り出した。約1台は幻の極悪極道の組員らしく、途中何度も脱落しかかっては合流し、いつの間にか行方不明になっていた。だが、東京に戻るとメールが届いていたので、無事に帰着はしていたようだ。

 酸ヶ湯で別行動をとる1名と別れると、9台のBMWは豪雨の中を物ともせず爆走した。八甲田を越え、奥入瀬渓流沿いを駆け抜け、十和田湖畔を過ぎると、十和田大館樹海ラインを疾走し、鹿角の街並みを横目に通り抜けると、濃霧の八幡平アスピーテラインから樹海ラインへと雨と霧で殆ど視界が利かないにもかかわらず、スピードは落ちることがない。近眼乱視老眼に加え、フロントスクリーンとヘルメットシールドとメガネの雨滴の三重苦に耐えながら必死で前車のテールライトを頼りに、ただひたすら走り続けた。端から全く見えない景色など楽しむ余裕はない。曲道で思いの外時間をかけてしまったので、西根から東北自動車道に乗り、一路花巻温泉に向かった。高速道路上でも豪雨は衰えを見せず、極悪極道組の速度も衰えることはなかった。ただ、亀仙人の燃料タンクは他のとは異なり容量が小さい。まして山道曲道をアクセル全開にして走った為に最悪の燃費になっていたようだ。普段なら300キロは走れる筈が200キロほどでガス欠の警告ランプが点灯し、急遽、盛岡南で下りて給油したが、あと10キロも走れば、あわやガス欠で豪雨の中立ち往生するところだった。満タンにして再び高速道に乗り、花巻の大沢温泉に着いた時には、全員ずぶ濡れの荷解きをしていた。

地面すべり 

<人間のカスになりたくて>

 正面から入る豪華な建物の温泉旅館ではなく、自炊部という湯治目的で長期滞在する木造の鄙びた建物に入った。自炊部とはいえ、一応食堂があって結構沢山のメニューが揃っている。人間のカス願望のライダーたちは、まず第一段階で温泉に入り、まったりとした時間を過ごすのである。アルカリ泉の露天風呂は川のすぐ脇にあり、水量豊かな流れを眺めながら温めの湯で疲れの溜まった筋肉や気分をゆっくりと解きほぐしてゆくのだ。流れの上にはモミジが大きく枝を張り出している。秋の紅葉の時期には見事な風景が見られる筈だ。当然、極悪極道組は計画を練っている。

 十分温泉で疲れを解した後は、第二段階の食堂に入って酒盛りと食事が始まった。いくらリーズナブルな値段だとはいえ、キャンプ場と同じ酒量を飲み干せば、宿泊代の何倍もの出費になってしまうが、そこは強かな極道組で、ちゃんとキャンプ場で残った酒を持ち込んでいた。部屋に帰っても酒盛りは続き、第三段階の寝る準備は着々と進む。この温泉でまったりして飲んで食って寝るというパターンを一日三回も繰り返せば、誰しも完璧な「人間のカス」になれるというのが、極悪極道組の最近のブームなのだ。回を重ねる毎に「カス願望」のメンバーが増えていって、秋から来年にかけてカスだらけになってしまうのではないかと少々危惧している。

 一晩では「バカ」が「カス」にはなりきれないらしい。翌朝は早々に社会復帰のための帰宅準備が始まってしまった。9人のカスになりきれなかった組員のうち4人は直行で帰っていったが、残った5人は喜多方ラーメンを食べに行く算段をしていた。豪雨の東北道をただひたすら疾走する。宿で折角乾いた雨具がすぐに濡れそぼってしまった。安達太良で直帰組との解散式を終えると、残党は一路喜多方を目指した。世間に広く知れ渡ってしまった喜多方ラーメンだが、剰りにも各地に林立し過ぎてしまい、本当に旨い「喜多方ラーメン」に出会うことが難しくなってしまった。地元出身のライダーの案内で老舗の店に連れられて行ったのだが、何だか細い路地をややこしく裏の方に入った店に上がり込んだ。そこは蔵を改造してあり、会津の旧家という雰囲気の普請だ。やがて出てきたラーメンは、柔らかいチャーシューが口の中でとろけるようで、麺もコシのある縮れ麺が歯触りよく、ストンと喉を通り越していった。スープもコクがあって程良い生醤油の香りが食欲をそそる。また、スープの温度がうっすらと張った油で熱いまま保たれており、猫舌にはちょっと辛いがフーフー吹きながら冷まして飲むとキレよく喉元を過ぎてゆく。あのシジミラーメンもこのスープで作れば、もう少し普通のラーメンになるだろうし、「万馬券ラーメン」という風にすれば、滅多に当たらなくなるはずだ。

 少し遅めの昼食ラーメンだったが、一同満足して、再び降りしきる雨の中を走り出した。コースを只見から新潟の小出に抜けて三国峠越えで帰ることに設定した。会津坂下から只見川沿いの沼田街道を行く。高低差の激しい山間を流れる川だけあって、大小様々なダムが流域に点在している。従って川の流れがある瀬より、ダム湖となって淀んでいるところが多く見える。そして雨の中、その淀んだ水面に靄がかかり、すぐに迫った山肌を這い昇るように霧が立ちこめると、鉛色の空を映した水面に新緑の影が射して神秘的な風景を醸し出していた。

 只見に入ったところで、近眼乱視老眼ライダーはそれより先の曲道を行くことを諦めて、投宿することにした。唯でさえ雨で見難いのに、日が暮れて雨の夜道を走ることなど無謀過ぎると判断した。やはり人間のカスになってはいても、命を捨てるようなことはしたくない。降りしきる雨の中に走り去る仲間を見送ると、唯一人、只見の宿でまったり気分を味わったのだった。

翌朝、雨は少し残ってはいたが、予定のコースを走って前日の判断が正しかったことを認識した。もし、あのまま雨中行軍を続けていたら、確実にどこかで湖の底に沈んでヒメマスの餌食になっていたことだろう。それほど極悪曲道の極みを見せた極道だったのだ。

 どこに行ってもどこまでもいつまでも雨に付きまとわれる運命を持った大雨男。なぜか中途半端な雨には遭わず、いつも嵐のような豪雨に見舞われ、行く先々で災害をもたらしている。まさに天災児とでも云おうか。自分の事を「バカ」で「カス」であると認識しているからこそ、世の中を下から見上げて降りかかる災難を見極めながら避けているのかもしれない。自然に対しては人間は謙虚でなくてはならない。人間の傲慢さが自然からのしっぺ返しを呼んでいる。人間関係でも同じ事が云えよう。相手が「賢い」人間であれば、自分が謙虚に振る舞った時、相手もそれに呼応して謙虚に応えるだろう。だが、相手が本当の「馬鹿」ならば、謙虚な態度に対して本性をさらけ出し傲った振る舞いを見せる。そこで、相手の人間性を判断すればよい。「賢い人」とは心を開いた付き合いができるし、「馬鹿な人」とはそれなりの相手を見極めた付き合いができるだろう。

 

 物質世界は高いところから見ることで全体を捉え、精神世界は低いところから見上げることで本質を見極めることができる。

 

 後日、只見で別れた極道組からメールが入った。

「只見で別れてから雨は上がったよ。やっぱりあの雨はアンタの所為だったんだね。」

バカを見たのは己ひとりなのだろうか?


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