断崖の島

森くらうど<ベベパパ>

−御蔵島秘境探検台風強制送還顛末記−

<竹芝桟橋22:30>

 毎度のことながら、せっかちな性格は常に待ち時間が長い。かといって気長に待っているところは、そう短気でもないらしい。ただ、時間に遅れることに臆病なだけなのだ。夜の10時半に出航するのに、6時には浜松町の駅前に降り立った。そんなに空腹でもなかったが、船に乗れば何も食べられないだろうからと、駅の地下のトンカツ屋でロースカツ定食を無理矢理胃袋に押し込んだ。そして、再び地上に出たが、まだ6時半だ。思い切りゆっくり歩いて竹芝桟橋に向かったが、7時前の桟橋ホールは 疎らに人がいるだけで、ぽつんと佇む己がすべての視線を集めているような錯覚に陥ってしまう。チケットは同行の仲間が手配しているので、出航までの長い時間をいかに潰すべきか大いに悩むところではあった。ホールを見渡すと座れるベンチがごくわずかしかない上に、堅く冷たいパンチングメタルの無粋な造作なのだ。尤も、3時間以上も前に来て待つような客のことを想定していないのだろう。ただ呆然と立っているだけの時間潰しは芸がない。読書はというと、最近老眼が酷く、本の小さな文字を読むのが苦痛になっている。あとは目を瞑っているのが最良の策と結論付け、奥まった所にある待合室の粗末なクッションのベンチにごろんと横になった。目が覚めたら9時になっていた。その待合室には、ほとんど人が居ず、静かだった。徐に起き出してホールに行くと、そこは大勢の船客でごった返し、喧噪に満ちていた。仲間の姿を探したが見つからず、携帯に電話してみた。

「もしもし、今どこに居るの?」

「ははは、みんな一緒に屋台で飲んでます。どうです、来ませんか?」

「あのね、もう客はみんなホールに集まって待ってるよ」

「船の出るの10時半でしょ?15分前でも大丈夫でしょう」

「あのね、あのね、電車やバスと違って、船は乗り込むのに時間がかかるの。飛行機と同じように、出発1時間前には居ないと、乗れなくなっちゃうよ」

「はあ、そうですか、じゃあ、あと10分ほどしたら行きます」

結局、せっかち一人がずーっと苛々しながら待つ羽目になってしまった。

 9時半になって、ようやく現れた仲間たちは、一杯引っかけただけあって上機嫌だ。ほんのり桜色に染まった頬を綻ばせて、チケットを買いに走る。

「うわあ、特1等のチケットって紙質が違うなあ。2等なんてもっとぺらぺらの紙でしたよ」

「1等と特1等の違いは何なんだろう? ソファとかベッドがついてんのかなあ。2等なんて床に寝るだけで、1畳に2人のスペースの割り当てがあるんだもんなあ」

「1等は1畳に一人の割り当てになってたりして・・・。ははは、そんな訳ないよな」

期待と不安が入り交じって、わくわくしながら外の行列に並んだ。2等は満員だったので、やむなく1等にしたものの、立て札の前に並ぶ時は少し優越感に浸ることができたようだ。

 竹芝桟橋発、八丈島行きの「サルビア丸」は途中の御蔵島に立ち寄って行くのだが、その日は条件付きの寄港とあった。折から台風が近づいており、波の状態で接岸出来ない場合、そのまま八丈島に直行するというのだ。御蔵島の桟橋は、防波堤がないため、直接太平洋の荒波の中に突き出ている。島は周囲を切り立った崖で囲まれ、人を寄せ付けない自然条件にあったのだ。だから、オオミズナギドリを始め、野生の宝庫として未だに未開の地が残っている場所でもある。いわば、日本のガラパゴスなのだ。

 やがて乗船時間になり、1等から先に乗り込むのだが、船底の方に降りてゆく2等船室に対して、甲板より上の階に行く1等船室の違いにやっと納得した。映画「タイタニック」では、船底の船室の方が賑やかで楽しそうではあった。部屋番号を乗務員に確認して、船底に降りずに狭い通路を進んだ。そして、部屋の扉を開けたとき、豪華な船室が眼前に・・・あるはずだった。だが、そこは壁で区切られたパンチカーペット敷きの薄暗い部屋で、最初から10人分の薄っぺらい布団と毛布が畳んで置いてあった。

「何だ、2等とどこが違うの?」

「10人分の個室になってて、布団があるだけじゃないの? やっぱり一畳に一人だ

「いや、窓が大きくて外がよく見えるんじゃない。」

「てゆうか、窓は大きいけど甲板から中が丸見えじゃん」

一同、不平とも諦めともつかない感想を口にしながらも、ある者はさっさと布団を広げてごろんと横になり、ある者は外に出たりと、出航までに気ままな行動をとっていた。

 2002年10月11日金曜日22時30分、「サルビア丸」はジャンジャンジャンジャンとうち鳴らされる銅鑼に送られるように、ゆっくりと岸壁を離れていった。

<御蔵島>

 薄い壁越しに隣からテレビの音がうるさく響いてくる。エンジンの響きが低周波となって下から突き上げてくる。部屋の中は高鼾の合唱で賑やかな船旅となった。東京湾の中は比較的静かで滑るように進んでいたが、外海に出ると大きなうねりが船を揺する。いつしかその揺れに馴染んだのか、うつらうつらしていたようだ。しかし、とても熟睡できる状況ではなかった。

 翌日の朝6時頃、船内アナウンスで御蔵島に間もなく接岸する旨が流れた。外は重たく暗い雲が垂れ込めており、夜明けの太陽が隠れたまま薄暗い海面に白波が立つのが見えた。部屋の仲間全員が寝起きの良さを提唱するかのようにきびきびと寝具を畳み、荷物を纏めて下船デッキに向かっていった。波が高く接岸が難しいようで、何度も繰り返している。やがて、舫ロープが岸壁の係員に投げられ、数人掛かりで引いて何とか接岸できたようだ。

「波が高いから2階から降りてください。降りたらロープの外側を歩いて早く離れてください。ロープが切れる恐れがあります。危ないですよ。」

丁寧に言っていた船員だが、すでに降りた客が岸壁の縁でうろうろしているのを見つけると、途端に口調が変わってしまった。

「こらっ、危ない! 早く離れて! さっさと岸の方に行けよ、こらぁ!」

船から下りたら、もう客扱いはしなくてもいいようだ。うち寄せる荒波が、時折桟橋を越えて来る。普通の桟橋よりも数メートル高く造ってあるのだが、防波堤もなく直接太平洋の荒波がうち寄せるため、接岸するのが非常に困難だという。だから、船長の腕次第で、時によっては目の前まで来て接岸出来ずに帰ってしまう場合もあるらしい。今回の船長は相当の腕前のようだ。桟橋から島を見回すと、切り立った崖がほぼ垂直に海に落ち込んでいて、まさにとりつく島がないという言葉は、そのままこの御蔵島のことを指すように思われる。民宿手配の車に乗って急坂を上ると、崖の上の斜面に民家が密集している。昔は島の南郷地区にも住民はいたが、現在はそこも引き払われ、この一部に住居が集中している。過去の歴史から、1カ所に集まるしかないほどの厳しい自然環境こそが、この島の自然を守っているといっても過言ではない。

 今回のメンバーは総勢7名で、カメラマンのT氏、S氏、H女史、K嬢、K父、U氏、そして私BPである。T氏以外は全員初めての御蔵島だった。浅い眠りの暗夜航路で疲れていたから、ガイドのH氏が来るまでの数時間を宿で眠ることにした。持ち寄った食料で軽い朝食を摂ると、一同各々の布団に潜り込んだが、何だかまだ船に乗っているような揺らめく気分がしていた。それでも、いつの間にか夢の世界に誘われていった。

 島での貴重な短い滞在時間を無駄にしたくない気持ちと、「クサヤ」を焼く香しい匂いが漂ってきて、1時間ほどで爽やかに目覚めてしまった。宿の女将さんが、みんなの弁当を作ってくれていたのだ。おにぎりと沢庵にクサヤをほぐしたものをアルミホイルに包んでくれたが、その匂いから食べられそうなメンバーは限られるようだ。もちろん、私は大好物である。ホヤや鮒寿司、ドリアンなど臭いものほど旨いと感じている。島のガイドをしてくれるH氏が車で迎えに来てくれた。全員がワンボックスに乗り込んで、島の東側に向かった。断崖絶壁の縁を縫うように道が通っており、入り江に沿っているために紆余曲折が多く、かなりの距離を走っていることになる。島の樹木は、照葉樹が多く、スダジイやツバキを始め、ツゲの原生林もある。櫛や印鑑などにする美しく堅いツゲはこの御蔵島から切り出されていたという。島の財源として貴重な木であったのだ。しかし、今は需要もなくなってしまい、貴重な自然として保護されている。H氏は朴訥な人柄だが、島の秘境を巡って巨大な椎木を発見したり島の保全に努める熱心な人物である。今でこそ島はイルカウオッチングで観光に来る客が多いのだが、そもそも三宅島で行われていたのが火山の噴火で渡れなくなり、最寄りの御蔵島に移ったらしい。しかし、御蔵島の住民にとってイルカは漁の邪魔者にすぎず、民宿などはイルカウオッチングの客は断っているほどだ。今回は巨樹を見に来るということで快く受け入れてくれた。

トンネル

 最初に車が停まった所は、まさに断崖絶壁の真上だった。

うひゃー!断崖絶壁!

崖を見るのかと思ってH
氏を窺うと、彼は無言でひょいと山側の方を指さした。その先には黒い巨大な木の影が立っていた。近づくと沢山の大蛇がにょろにょろと絡み合っているような根上がりを見せており、幾本もの板根が四方八方に広がって、不気味な雰囲気を醸し出している。幹の中は空洞になっており、あたりの地面にはボコボコと無数の穴が開いている。御蔵島の各地がオオミズナギドリ(御蔵島呼称;カツオドリ)の営巣地になっているのだ。彼らは通年海上で生活するが、年一回繁殖のために島で営巣する。その時期には、昼間海に出てカツオに追われて海面に上がってくるイワシなどの小魚を捕り、夜に帰巣して雛を育てる。別にカツオを食べる鳥だからではなく、人間がカツオを獲る目安となる鳥だからカツオドリと呼ばれているのだ。なんだかにょろにょろ根っこの椎の木よりもカツオドリの方に興味をひかれてしまった。道端のフェンスの外に出てみると、そこにはオーバーハングした崖が切り立っている。恐る恐る覗き込むと、遙か下の方で白波が岩に打ち砕けていた。ふーっと吸い込まれて落ちるような感覚に陥り、慌ててフェンスの内側に戻った。只でさえ高所恐怖症なので、そこからの車の着座位置を山側に変えてしまった。再びうねうね道を走ると、道路の左側に巨大なスダジイが見えてきた。「伊奈佐のシイ」と呼ばれるその巨木は、幹や枝にぼこぼこごつごつと多くの瘤をつけて、異様な姿で立っていた。斜面の下の方に回り込むと太い枝が大きく横に張り出し、そこからまた上に向かって新たな太い枝が伸びている。旺盛な葉の繁りをみせて、まだまだ健在なりと主張しているようだ。


伊奈佐-1

 ここでも、あたりには沢山の穴が開いており、カツオドリの塒になっている。所々に白い羽毛が落ちており、深い穴の中には雛鳥がいるのだという。根や幹や枝にはびっしりと苔が生えているのだが、横に張り出した太い枝の上面だけは、細かいひっかき傷が付いており、苔も生えていない。それは、カツオドリが飛び立つときに枝によじ登るからなのである。そういう斜め横に張り出した木は、島の至る所でカツオドリのカタパルトとなっている。明け方、至る所から集まってきたカツオドリは木によじ登るためにラッシュアワーのような混雑を呈する。騒々しく列を成して登ると、先から次々と飛び立っていく。オオミズナギドリの仲間はアホウドリもそうだが、翼の全長が1mを越す大きな鳥で、羽ばたいて飛ぶというよりグライダーのように滑空するのである。翼の幅も狭いため、その場で羽ばたいて飛び立つことはできない。だから、助走する滑走路か、カタパルトのような木が必要なのだ。彼らの飛ぶ姿は確かに優雅ではあるが、飛び立つ時と着地するときは実に無様でユーモラスである。言い換えれば、飛ぶ姿は歌舞伎役者でも、着地してずっこける姿は吉本新喜劇といえよう。


伊奈佐-2

 更に車はうねうね道を走り続け、以前は集落のあった南郷地区に到着した。H氏は車を降りて、山側の小径に入り込んでいった。今度はかなり歩くようだ。山歩きにはあまり慣れていない一行を気遣ってか、かなりゆっくりなペースで歩いている。一行の中のK父娘は将棋の駒で有名な山形の天童市出身なのだが、K父は将棋の駒の原材が桑の木であり、御蔵島から産出された木が丸太になって送られてきたことを話していた。それで、H氏に頼んでいた。

「途中に桑の大木があれば教えてください。どんな木なのか見たい」

細い小径をゆっくり進んでいく。島の木々には根上がりしたものが多いが、雨で洗われたのではなく、カツオドリが長年木の周りに穴を掘ってきたため、次第に根が露わになってしまったのだ。先頭をゆくH氏が、一本の木を叩いて一言、「これ、桑の木。」そう言うと、さっさと歩き出してしまった。見上げるとかなり高い木で、確かに梢に付いた葉が桑独特の形をしている。普段見かける桑の木は背も低く、養蚕のために栽培されている葉の沢山付いた木しか見たことがなかったので、大木に育った桑の木は初めて見たのだった。尤も、御蔵島はかつて養蚕が盛んに行われていたことがあり、ここの桑は「八丈桑」といって伊豆諸島固有の桑で、日本本土の種とは異なるようだ。小径の両脇にはガクアジサイが群生しており、所々でシマテナンショウやアシタバが見られる。道らしき道もないような所を通る場所もあり、とてもガイドなしでは行けない。何とも秘境を探検している気分になってしまう。迷ったら大変と、ガイドのH氏の後にぴったり付いていった。海縁の崖の上に辿り着いた時には、周りに最近のものらしい倒木があった。

「何だかあちこちでばったんばったん倒れてるねえ」

「あぁ、島じゃ60mぐらいの風は当たり前だからな。東京で20mの強風が吹いたってニュースで見ても、この島じゃ屁でもねえよ」

「風速60メートル!? うわあ、裕次郎もびっくりだなぁ」

「あの映画は風速40mだっけ? 確か一昨日のテレビでやってたな。」

とかなんとかたわいもない話をしていると、眼前に巨大な板根を張った島で最大の椎の木が立ちふさがった。


大椎

「うーわっ、でっかい! すっごい板根! うーわ、うーわ!」

まともな言葉での表現ができなくなってしまった。それほどまでに巨大なスダジイは迫力があったのだ。目の前にはロープが張ってあって、木に近づくのを制限しているようだった。H氏がぼそっと言った。

「これ俺が見つけた。ロープも俺が張った」

「そばに寄ってもいいですか?」

「ああ、いいよ。一般の観光客がむやみに近づかないようにしてるだけだから」

それを聞いて、ちょっと遠慮していた一同はわらわらと群がるように巨木に駆け寄っていった。大きく高く根上がりした幹から身の丈ぐらいの板根が四方八方に張り出している。回り込んで見ると5cmぐらいの薄さでまさに板のようになって大地に踏ん張っているのだ。大地といっても、御蔵島は火山島である。土台は溶岩で出来た岩山であり、その表面に薄く張り付いたような土に浅く根を這わせている。強風に耐えるために、自ら板根を張ることによって工夫しているのだ。これも、植物の、森の知恵なのである。このような板根を持つ木は熱帯雨林などに多く見られるが、この島は温帯にありながら、熱帯樹林の相を呈しているようだ。更に、板根や枝のあちこちにシダの仲間のオオタニワタリが着生しており、そこだけ見れば沖縄や台湾にいるかと錯覚を起こしそうになる。周囲を巡ると、彦生えや他のツバキなどが絡み付き別の椎の木の根も複雑に絡んで互いに支え合っているように見受けられる。また、倒木さえもつっかえ棒のようになり、倒れて地に着いた枝がそのまま根となっているのだ。まるでそれぞれの木々がそれぞれの意志を持って互いに支え合う形を作っているように見えるのである。そう、確かに御蔵の森には、植物の「生きる」ことに対する強い「意志」を感じることができるのだ。


助け合い

 一通り「意志を持った巨木」の生き様を拝見した後は、一同昼食を摂ることにした。朝方民宿で用意してくれたおにぎりの包みを解くと、沢庵と一緒に小さめのゆで卵が入っていた。

「これ烏骨鶏の卵だそうよ。で、こっちがクサヤですって。何だかご主人が作った自家製のクサヤなんだって。」

H女史が女将さんから聞いてきた話をしながら、手も付けずにクサヤを渡してきた。

「ん? 食べないの?」

「私は結構」

「俺もいいや」

「私も・・・やっぱりやめとく」

U氏も小さな欠片をつまんで、

「これでいいです」

地元のH氏に勧めても、

「いや、俺は喰わねえ」

結局、一人で全部食べてしまった。大きなムロアジ1匹分のクサヤだったが、臭いけど旨い珍味であった。八丈島のアゴ(トビウオ)のクサヤなどはもっと臭いが強烈だが、味は実にいいものだ。だが、都会のアパートでクサヤを焼くと、二階や周辺の家族が大騒ぎするので止めた方がいい。一度夕飯のおかずにとコンロで焼いたら、二階でどたばたと子供が走り回る音が響いてきた。

「臭いよ〜、臭いよ〜、おとうさん、臭いよ〜・・・」

「あれはクサヤっていって、旨いもんなんだ、我慢しろ」

親はクサヤの旨いのを知っているからいいのだが、子供には気の毒なことをしてしまっ た。昔、勤めていた会社の人間がニューヨークに行ったとき、ホテルの部屋でクサヤを焼いたら、悪臭がすると大騒ぎになり、消防車やポリス、挙げ句の果てはFBIまで駆けつけてとんでもないことになったらしい。当人たちは野次馬と一緒になって騒いでいたらしいが、知らない国ではクサヤの臭いはバイオ・テロの一種になるのかもしれない。いや、ひょっとしたら新たな生物兵器になってしまうのか?

 大シイを眺めながらゆっくりと生物兵器を平らげると、次の目的地に行くために、来た道を戻っていった。そして、カツオドリの巣穴が沢山あるところで、ふと足元に白い卵の殻を見つけた。

「カツオドリの卵かなあ。雛が孵ったばっかりみたい」

「誰かがゆで卵を食べて、殻を捨てたんじゃないの?」

口々に適当なことを言ってると、H氏が、

「あ、それカツオドリ」

とあっさり言った。

「この辺の穴の中には雛鳥がいるよ。鳴き声が聞こえるから」

そう聞いて耳を澄ますと、確かに地面の中からピイピイピイピイと雛鳥の鳴き声が聞こえてきたではないか。

「ぐぁあ〜ぐぁあ〜ぐわぁあ〜・・・」

と、親鳥の声を知らないが、もっともらしい鳴き声を真似て叫ぶと、地面の中から呼応したのか、ピイピイピイピイクワックワッと返事が返ってきた。

「クワックワックワクワ〜クワ〜クワ〜コココクワ〜クワ〜」と、我ながらなかなか巧い鳴き真似をしたら、地中からより賑やかな雛鳥の声が届いた。話が通じたらしい。

「へえ、猫語は話せるのは知ってたけど、鳥の言葉も話せるんだ」

「うん」

素直に返事をしてしまった。

「他にカモシカやライチョウとも話ができるもん」

変なオッサンである。

 途中の森の中には、いくつもの巨大な椎の木があった。それぞれ、立っている地形に合わせてそれなりの工夫をしているのか、細い束になった根を地面に打ち込んでいたり、網目状になった根を周囲に広げたり、桜と椎とが合体して、それぞれの異なった根を絡み合わせ、微妙な強度を持たせて地面に張り巡らせるという、意識を持っているとしか思えない仕業なのだ。植物は植物固有の時間感覚で、知恵と工夫をこらしてしっかり生きているのである。

 南郷から少し戻ったところで車は停まった。朝から島の秘境をかなり歩いたので些か草臥れていたが、まだ昼を過ぎたばかりだった。やけに時間の経つのが遅く感じられる。植物の時間感覚に感化されたのかと思ってしまった。

「今度はどれくらい歩くの?」

「あの山の上に御代池があるんだ。直線距離ではすぐそこだけど、一山越して一谷降りて渡って登るから、結構きついかな」

「うえっ、そんな、酷いことをおっしゃる」

確かにH氏の指さす向こうの山の頂は、御代池の姿を隠してはいるが、すぐそこにあるかに見える。しかし、目の前には深い谷が落ち込んでいて、急峻を下り、また登るのかと思うと、両の膝小僧が苦笑いを始めてしまった。少し躊躇していると、最年長のK父がさっさと先に歩き出した。後に続いた娘のK嬢が、

「父があんなに元気に歩けるなんて、意外ぃ〜。」

と、感心していた。階段といっても大きな岩や丸太を組み合わせただけで、横に渡してある鎖やロープに掴まりながら降りなければならない。足を滑らせたら、ころころと下まで転がり落ちて、いち早く谷底まで行けそうな急峻なのだ。その尾根から谷間一帯にはツゲが群生していた。江戸時代にツゲの櫛が流行って、御蔵島のツゲは全国的に有名になったのだが、需要が減った今ではツゲ細工の伝統工芸として残っている。昔は島で孫が生まれると、その子のためにツゲの苗を千本植える習慣があったそうだ。山頂部のツゲは強風に曝されているため全体的に背が低く、成長が遅いようだ。とはいえ、ツゲの木質は密で堅く、幹の直径が30cmほどで巨木と認定されている。島の他の椎の巨木からすれば、同じように巨木と呼ぶなと文句を言いそうだ。あくまでも人間の認定基準なのでと言い訳するしかないだろう。

御代池

 谷底の一帯は湿地になっており、足元がぬかるんできた。頭をのぞかせた岩の部分を選んで歩を進めるが、時折誰かが悲鳴を上げる。恐らくちゅるんと滑って泥濘に足を突っ込んだのだろう。自分だけはと気を付けて歩いていたら、苔生した岩に乗った瞬間、ちゅるんとやってしまった。どうも苔は苦手である。何とか御代池の畔にたどり着いたが、膝小僧はケラケラと腹を抱えて笑い転げていた。山の方から吹き下ろす風が強く、池の水面にはさざ波が立っている。池は周囲数百メートルの小さなものだが、岸は水面まで垂れ下がったツゲやツバキなどの照葉樹で覆われている。例によって斜めに突き出した木の上面はカツオドリの爪痕がびっしりと付いている。どうやら、海面では波が荒いので波静かなこの御代池で羽を休めるのだろう。淡水湖だから、塩辛い海から帰ってきて真水で喉を潤すのかもしれない。いずれにせよ、島の至る所で主な居住者はカツオドリなのである。近づきつつある台風の影響か、山の頂を越えて白い霧が吹き出しているのが見えてきた。

「そろそろ帰ろうか、明日は島の反対側を案内するけど、台風の様子からだと無理かもしれんなあ。ひょっとしたら役場の方から明日の船で帰されるかもしれんしなあ。」

「えーっ、何それ?」

「台風が来たら地元の人間だけで精一杯なんよ。観光客なんかにかまってる余裕ないし。風速50mとか60mなんて半端じゃないよ。最初のうちは吹き付ける風で雨戸なんか飛ばないように押さえてるけど、そのうち家の中の空気がシューシューって吸 い出されるからね。そしたら、一気に屋根なんか持って行かれてしまうから。」

「へー、じゃあ、漁船なんか波で持って行かれないの?」

「だから、全部トラックで山の上に持って上がってしまうさ。」

「そっか、だからさっきみたいに船が山の上にあったんだ。」

「そ、島の船はみんなトラックに積める大きさしかない。大きな船なんか運べないからね。」

「豚も煽てりゃ木に登るから、船も煽てりゃ山に登るかな?」

「・・・・・・・・・・」

せっかくボケたのに、誰からも反応がなかった。空模様が怪しくなってきたので、一同帰路に就いた。御代池からの行程は比較的緩やかに進むが、最後の谷底から尾根への急峻を登るのが一苦労だった。膝小僧なんか笑い疲れて力が入らない。ほとんど腕の力だけでロープに掴まり重い体を引っ張り上げているようなものだった。車の所まで戻ったけれど、乗り込む元気もなく、道端にへたり込んでしまった。その有様を見たH氏は、

「明日はこんなのじゃないよ。三倍くらい歩くから。もっときついよぉ」

へらへら笑っていたが、最初のころは朴訥な感じだったのに、昼食を食べた頃からうち解けたらしく饒舌になっていた。宿に着いた時には、すでに夕暮れが迫っていた。荒々しい海の上には重たく暗い雲が立ちこめ、波止場では船を山に上げるトラックが忙しく働いていた。

「明日の朝、船が入ったら東京に帰った方がいいですよ。この様子だと、海が荒れて当分船が入ってこないかもしれんからねえ」

「ええっ、でも、明後日まで宿は予約してるんですよねえ」

「確実に明後日は船が来ないから、帰れないですよ。でも、うちは別のお客さんの予約が入ってるから、どこか他の宿を探すにしてもねえ、ないと思うけど・・・」

女将さんは、H氏と同じようなことを言っていた。台風が来て海が荒れると1週間ぐらい船が来なくなってしまうのだ。おまけに明後日は島の総合検診のために医師団が> 島に来るので、各宿は全部予約で押さえられているらしい。

「でも、船が来ないんじゃ、お医者さんも来られないのでは?」

「医者は船なんか使わないわよ。空からヘリで来るんだから」

「へえ、空から医者が舞い降りて来るんだ。・・・メリー・ポピンズみたいな医者やなあ・・・」

「・・・・・・・・・」

ここでも、やはり誰もツッコンでくれなかった。緊急事態発生で全員頭を揃えていろいろ画策したが、結論として、明日の朝、船が入れば東京に帰ることになった。で、船が来なければ、どこかのお宅に押し掛けて強引に泊めてもらおう、たぶんH氏宅になるかもしれない。

「大丈夫、無理でも船を着けるさ。役場が要請して島の観光客を全員帰すようにしてるからね。たぶんヒゲの船長なら巧いから着けると思うよ。」

島の人たちはよく分かっているようで、入ってくる船のコースや操縦の仕方で、今日はあの船長だ、巧く入ってくるからきっとそうだとか、あれじゃちゃんと接岸出来ないぞ、下手な船長だな、きっとあいつだぞとか、見分けがつくらしい。なんといっても港の真上に島中の住民が集まっていて、各家々から一望できるのだから、入港の時は全島民がギャラリーとなって船の品定めをするのである。

 その日の夕食は海の幸がいっぱい並んだが、さすがにクサヤの姿はなかった。食事の最中でも外では次第に風の勢いが増してきて、戸や窓をガタガタ鳴らしている。このままだと本当に船は来ないかもしれないと不安を抱えながら、それぞれ部屋に戻っていった。実に長い一日だった。前夜は船の中で眠れずにほとんど徹夜状態で過ごし、早朝島に着いてから1時間ほど仮眠をとっただけで、あちこち歩き回っていたのである。よほど疲れていたのだろう、夕食後すぐ布団に潜り込むや、2時間たっぷりと完全熟睡してしまった。実に爽やかな目覚めを迎えて、もう夜明けは近いのかと時計を見ると、何と、午後11時。まだ「今日」は終わっていなかった。他の仲間がようやく床に就く頃、こちらはおめめぱっちりで睡魔はどこかに退散していた。仕方なく持ってきたパソコンを叩き起こして、朝まで原稿制作を手伝わせてしまった。

<御蔵島6:30;強制送還>

 午前五時、御蔵島役場のスピーカーが黎明の島に鳴り響いた。

「本日の六時到着の船は、東京行きです。八丈島には行きません。折り返し東京行きです。」

通常のアナウンスのように聞こえるが、暗号翻訳すると、

「御蔵島関係者以外、即ち観光客は全員退去せよ。即刻東京に強制送還する。台風が来るのに、遊びに来てる客の相手なんかできるわけねえだろ。」

となる。そりゃそうだ。風速60メートルの風だけで相当荒っぽい客なのだ。全員もそもそと起き出して、眠い目を擦りながら、そそくさと荷物を纏めると、車に乗り込んだ。その時は、船の中でまた寝ればいいという甘い考えでいたのだ。宿から少し下ったところの道端には、島の住民のお爺ちゃんやお婆ちゃんが陣取って、入ってくる船の品定めをしていた。

「ありゃ、かなり無理してるなあ。普通こんな波じゃ来ないもんなあ。」

「ああ、左の方に回り込んだな、うんうん、あっちからでないと巧く接岸できんから

なあ、ありゃ、かなり巧い船長だな。」

「おお、そうそう、そうやってぐーんと回り込め。そうそうそう・・・」

「よおし、そこでゆっくり行けよ、そのまま、そのまま・・・」

かなり賑やかなギャラリーが揃っていた。車を運転している民宿の親父もまた、かなりうるさ型のギャラリーのようだ。

「よし、じゃ行くか、俺がよしと言うまで降りるなよ。ずーっと先まで車を着けてやっからな。いいか、絶対俺の言うこと聞けよ。」

「はい、船長、了解です。」

車は波が桟橋を洗う中を突っ切って行った。停まった所で、一人が降りようとドアを開けると、

「こらっ、まだ降りるな。俺がよしと言ってから降りろって言ったろ?」

「はい、すんません。」

この船長、かなり手厳しいようだ。頃合いを見て、船長は叫んだ。

「よし、今だ! 行け、行け!」

全員、急いで車から飛び出し、船のデッキに駆け込んだ。桟橋では他のフィッシングやイルカウオッチングの客が大荷物引きずって波しぶきに濡れながら乗り込んできた。やはり観光客全員が強制送還されるようだ。民宿の親父船長にはろくに礼も挨拶もする余裕はない。いきなり、行け行けと叫ばれては、一目散に駆け出さずにはいられなかった。帰りは2等船室だから、デッキから下へ降りていく。船尾の方に行くと、パンチカーペットを敷いた床に1畳分のスペースがガムテープでマーキングしてあり、それぞれに黒い小さなビニール枕が置いてあった。何だか車の駐車場と同じである。1等船室とは壁と布団がないだけで、同じである。乗り込んでから、数分で船は動き出した。荒れ狂う波では一刻も早く桟橋から離れないと危険なのだ。そして、数秒後には、船の中で眠ればいいという考えが甘かったことを認識した。太平洋の荒波に揉まれて、まるで木の葉のように揺れるというありきたりの表現がぴったりの大揺れなのである。民宿の女将さんが作ってくれた朝食の弁当を目の前に出されても、とても喉を通る状態ではない。例え一旦通っても、すぐに逆流するのは目に見えている。船尾にいるのでよく分かるのだが、時折スクリューが空回りしているようだった。水中で回る音と明かに異なる空中で回る音がするのだ。それはつまり船が波の上に乗って、お尻がはみ出したことを意味する。それほどの大きな揺れと高い波が延々と続いていた。座っていると船酔いでむかむかしてくるので横になっていたが、寝返りを打つ必要はなかった。揺れる度に体がごろごろと転がってしまうのだ。壁にぶつかる前に手で突っ張るか、シュタッと足で踏ん張っていた。太平洋を乗り切る延々4,5時間、ひたすら激しく揺れ続ける船の中で、全員魚河岸のマグロの如く床に転がっていた。

 東京湾に入ってからは、波も穏やかになり、船酔いも収まって、ようやく朝飯のお握りが胃袋に収まった。竹芝桟橋を出たのが、まるで昨日のように感じられる・・・いや、事実、一昨日の夜22:30だから、見ようによっては昨日なのだ。結局、長い一日を充実した行程で歩き回り、多くの貴重な巨木を見ることができた。それでも、まだまだ御蔵島の秘境のごく一部を垣間見たに過ぎない。これからも、幾度か訪れる島になりそうだ。

 切り立った断崖に囲まれた島は、一見とりつく島のない島だが、一度足を踏み入れると、それは奥深い自然の神秘に満ちている。島を歩けば、その周りの自然が饒舌に話しかけてきてくれる。木々や鳥たちが積極的に生きる貪欲なまでの強い意志。植物的時間感覚、動物的時間感覚で織りなす生きるための意識。それらは、人間の感覚を越えたまさに神秘の世界である。そのすばらしい自然を島は独自の意識をもって守り続けている。

島を去るとき、船の澪の向こうに巨大な亀が浮かんでいるような気がした。彼は、強かに生きている。

友人からの寄稿 トップへ